Myanmar
大阪のミャンマーはやたらに生真面目な青年で、
直立不動がよく似合う。
毎日夜の公園で詩を朗読しているから、
はたからみるとちょっとあれで、
しかも時々に勝手に感極まって泣いているという。
仕事がおわるとミャンマーは六キロの道のりを歩いて帰宅する。
ひたすらにまっすぐ歩きながら、
へとへとのミャンマーは詩を書いたりしている。
ミャンマーは定期券を買ったことがない。
ミャンマーには一ヶ月先の生活がわからない。
その日暮らしのちっぽけな存在が、ミャンマーそのものだ。
ミャンマーはひとり、橋を渡っている。
ミャンマーの住む都市のなかには、淀川というとても大きな川が流れている。
ミャンマーは立ち止まってはならない。
橋の上はいつもごうごうと都市のつよい風が吹いていて、
いま、ミャンマーは欄干に背をもたれている。
すこしの力が作用したらどこか遠くへ翔べると信じているのか、
或いはなにも知らないのか、
空をぼんやりみたり川面をみつめたりしている。
水鳥が飛ぶ。夜には色が変わる。
この川の両岸にしずかに佇んでいるテトラポットたちはみんな、
ミャンマーだ。
ミャンマーは日本人であるが、
いつからか誰かにミャンマーと呼ばれている。
祈りや叫びや魂に国籍はなく、
ミャンマーがなぜミャンマーなのかは誰一人知らなかった。
小さな器をめいっぱいに生きる名もない詩人に似つかわしい、
濁った大きな川がある街がミャンマーの街、大阪だ。
彼は大阪のミャンマーだ。
それですべてがまるく、収まっている。
大阪のミャンマー
武田地球